不満足なソクラテスであるより、満足した豚さんになりたいと願いつつ、今だタルを知らないタルエのヨクボー記録
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建物は昭和59年(1984年)に京都市の指定・登録文化財。
創業は元禄元年(1688年)、置屋として始まる。
お茶屋兼業は明治5年(1872年)だそう。
2階の客室の内、傘を張った襖をたてる傘の間と、土壁に赤や黒の押型の紅葉を散らす紅葉の間があるそうです。
近藤勇の書が表装された屏風もあるそう。
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ふっつ〜に個人の方のお宅だから「観覧謝絶」と入り口にあるかと思ったら
なんと!輪違屋さんは今でも毎日営業中の、太夫を置く「置屋」でもあり、「揚屋」でした〜!
今でも輪違屋さんで宴会を開くことも可能だそうです。
しかし、 『いちげんさんお断り』の世界ですので、現実にはなかなかなかなか…難しい模様。
私は「紋」大好きなので、紋の入った数々のモチーフに目が釘付け!
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夜になると灯が入るのでしょうか?
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ポストです。表札は出ていなくても家紋で家が分かる!
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持ち主の方が「高橋」さんなので、「高」なんですね〜。
「輪違屋」の屋号はお茶屋になってからのもので、置屋だった頃は「養花楼」(ようかろう)。
小説『輪違屋糸里』でも説明がありますが、太夫は五位の位を持つそうです。(五位以上の位は、天皇に拝顔できる資格がある!)
客が太夫を呼ぶ際は、揚屋で客が依頼の書面を作成し、それを揚屋の主人が置屋へ持参し、太夫が認めた場合に初めて交渉成立となる。…まぁこの辺りのシステムは吉原の花魁も同じようなもんですけどね。
その際、揚屋で太夫を揚屋で待たせるということがあってはならない。客は必ず揚屋の座敷で太夫の到着を待つ…ってゆーのがスゴイと思うのです。
傾く美学、というか…武士道「葉隠れ」に通じる、意気に本気で生きた時代ならではの、美しさにただ感動です。
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タルエ
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女性
職業:
暴れん坊将軍
自己紹介:
着物同好会(仮名)主宰…仮名のまま7年間こっそり活動。『着物愛』を友達にゆっくりゆ~~っくり伝播中…でも着付け指導(我流)はスパルタ。
最近手芸熱に浮かされている。
最近のパターン:イチゴよりイチゴ味
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