忍者ブログ
不満足なソクラテスであるより、満足した豚さんになりたいと願いつつ、今だタルを知らないタルエのヨクボー記録
2024/03月
≪  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31  
[1] [2] [3
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

痛すぎるから止めろ! …というご意見を多数いただく、私の回転木馬コレクション。
今回は闇夜に乗じられなかったので
地味な隠し撮りのような写真のみ。

ディズニーシー、アラビアンコーストの二階建てメリーゴーランドの馬です。
(写真からはそんなことはまったく伺い知れない)

D_mokuba02.jpg
二階の馬に乗りたかったのだけど、結構な待ち人数だったので
私の希望など無視で地上の木馬に乗ることをキャストに指定されました。

D_mokuba.jpg
カップルや友達連れや親子連ればかりの中
いい年齢のオバサンひとり という乗客(基本ひとり、という乗客はいない)は、
世間様から見たらどんな感じだったのでしょうか?
(我が友の嘆きが聞こえるようですv)

我が子を激写したい父親から大いに邪魔扱いをされましたが
こっそり動くの上から馬を撮りました。

自分撮り、はしてません。念のため。

こんな時ほどカモフラージュ用の子供が欲しい、と思う時はありませんな。
 
あ、私、一人でディズニーに行った訳ではありません。
他の人は他の場所にいただけです。(会社の旅行なり)
お互いに他人のペースに合わさないだけです。はははは。
 
しかし…1年ぶりのディズニー…あまり萌なかったのは何故だらう?
姫度が薄かったからかなぁ〜?
ミッキーマウスはスーパースターだけど、
シンデレラ城あってこその存在意義なのではないかと強く思った次第。

エレクトリカルパレードを今回はじめて見ました。
確かにキレイ〜。

land01.jpgland02.jpg

でも、私が最も興奮したのは、パレード先頭の騎馬隊なのでした。
PR
wachigaiya_shoumenfutari.jpgwachigaiya_kanban01.jpg
(画像をクリックしたら別ウィンドウで大きく開きます)

建物は昭和59年(1984年)に京都市の指定・登録文化財。
創業は元禄元年(1688年)、置屋として始まる。
お茶屋兼業は明治5年(1872年)だそう。
2階の客室の内、傘を張った襖をたてる傘の間と、土壁に赤や黒の押型の紅葉を散らす紅葉の間があるそうです。
近藤勇の書が表装された屏風もあるそう。

wachigaiya_gaikan.jpgwachigaiya_gaikan02.jpg
(画像をクリックしたら別ウィンドウで大きく開きます)

ふっつ〜に個人の方のお宅だから「観覧謝絶」と入り口にあるかと思ったら
なんと!輪違屋さんは今でも毎日営業中の、太夫を置く「置屋」でもあり、「揚屋」でした〜!
今でも輪違屋さんで宴会を開くことも可能だそうです。
しかし、 『いちげんさんお断り』の世界ですので、現実にはなかなかなかなか…難しい模様。
 
私は「紋」大好きなので、紋の入った数々のモチーフに目が釘付け!
 wachigaiya_kanban02.jpg
(画像をクリックしたら別ウィンドウで大きく開きます)
夜になると灯が入るのでしょうか?

wachigaiya_post.jpg
(画像をクリックしたら別ウィンドウで大きく開きます)
ポストです。表札は出ていなくても家紋で家が分かる!

wachigaiya_yane.jpg
(画像をクリックしたら別ウィンドウで大きく開きます)
持ち主の方が「高橋」さんなので、「高」なんですね〜。
 
「輪違屋」の屋号はお茶屋になってからのもので、置屋だった頃は「養花楼」(ようかろう)。
小説『輪違屋糸里』でも説明がありますが、太夫は五位の位を持つそうです。(五位以上の位は、天皇に拝顔できる資格がある!)
客が太夫を呼ぶ際は、揚屋で客が依頼の書面を作成し、それを揚屋の主人が置屋へ持参し、太夫が認めた場合に初めて交渉成立となる。…まぁこの辺りのシステムは吉原の花魁も同じようなもんですけどね。
その際、揚屋で太夫を揚屋で待たせるということがあってはならない。客は必ず揚屋の座敷で太夫の到着を待つ…ってゆーのがスゴイと思うのです。
傾く美学、というか…武士道「葉隠れ」に通じる、意気に本気で生きた時代ならではの、美しさにただ感動です。
sumiya_setumei.jpg
(画像をクリックしたら別ウィンドウで大きく開きます)

角屋(すみや)は、京都・嶋原の揚屋(現在の料理屋・料亭にあたるもの)である。
幕末には久坂玄瑞、西郷隆盛などの勤王の志士が密議を交わしたり、
豪商からの資金調達のために接待に使用されていた。
また、新選組もここでの遊興を楽しんだ。特に芹沢鴨との関わり合いは深く、文久3年(1863年)6月ここで暴挙をはたらき、その際に出来た刀傷が今でも残っている。
また、芹沢が殺害される直前にここで酒宴を開いている。

sumiya_hyousatu.jpg
(画像をクリックしたら別ウィンドウで大きく開きます)

昭和27年(1952年)、嶋原が開かれて以来現存する唯一の揚屋の遺構として国の重要文化財に指定。
現在一般公開は1階部分のみ。損傷部分の保存を考え、2階座敷見学には事前予約が必要。
〈開館期間〉3月15日〜7月18日、9月15日〜12月15日
〈開館時間〉午前10時〜午後4時
〈休館日〉月曜日(祝日の場合翌日)
〈入館料〉一般1000円、中・高生800円、小学生500円(2階の特別公開料金を除く)
※2階の特別公開の座敷(青貝・扇の間他)につきましては、事前電話申し込み。
 料金は入場料の他に別途必要。大人800円、中・高生600円(小学生以下はお断り)←ステキ!
 
詳しくはこちら!
嶋原角屋公式HP http://www16.ocn.ne.jp/~sumiyaho/

sumiya_omote02.jpgsumiya_omote01.jpg
(画像をクリックしたら別ウィンドウで大きく開きます)
私が訪れた12月31日は当然休館でしたが… 極寒だけど、血は滾ったわ!
実に格子が美しいのです。

sumiya_dobei02.jpgsumiya_dobei.jpg
(画像をクリックしたら別ウィンドウで大きく開きます)
角屋裏側から‥塀はかなり高いです。

sumiya_nazo.jpg
(画像をクリックしたら別ウィンドウで大きく開きます)
これは何なのでしょうか?

桜の季節に訪れたいですね。
予約は容易いのか、それが問題ですな。
12月31日大晦日、京都に行ってきました〜。

20年ぶりくらいの京都旅、それにしても京都駅変わり過ぎ!
何だか黒い!って感じました。(何故『黒』と感じたかは謎)
昔の田舎っぽさが残る、はんなりとした風情が懐かしいです。

今回の目的は京都・嶋原(正式な地名は西新屋敷)。
浅田次郎の小説『輪違屋糸里』(新選組がカッコ悪く描かれていて好きではない)で有名な新選組ゆかりの地です。
(テレビドラマ『輪違屋糸里〜女たちの新撰組〜』で音羽太夫が哀しくもカッコ良かった!)
 
【京都・嶋原の歴史】
室町時代、東洞院辺りに嶋原の前身である傾城局(幕府が設置した遊女取締兼課税所)があった。
天正17年(1589年)豊臣秀吉が二条柳馬場辺りへ移し、日本最初の公許遊郭となる。
慶長7年(1602年)徳川家康が六条三筋町へ移す。
寛永18年(1641年)現在の位置へ急遽移転を命ぜられる。その混乱ぶりが島原の乱に似ていた為、いつしかここを『嶋原』と呼ぶようになった。
 
嶋原大門の前で記念撮影。 (クリックしたら大きな画像が別ウィンドウで開きます)

simabara_mon.jpg

※友達から「置屋の女将か?」と云われました…。

この日は本当に寒かったのですが、
町の住民の皆様(嶋原商店街)が、本当に「年の瀬」「大掃除」って感じで掃除をされていて、もう今は物語の中でしか見れないような日本の古き良き光景をリアルに見させていただきました。
「始末がいい」という言葉の具現です。
古い家屋なのだけど、とても手が行き届いていてキレイにしてあります。
昔ながらの商店街ではつきたてのお餅が売られ、薄着の小学生たちがおうちのお手伝いをしている。
京都の町並みは美しい、とよく云われますが、それはこういう「始末のいい」日常の中から育まれるのですね。
あと戦争の爪痕が見られないところが歴史の断絶を生まないのでしょう。
(普通に大正時代に建てられた住居に現在も住まれている)
歩いているだけで楽しい町です。
昭和28年にはまだ太夫道中があり、大門からの道筋には桜、柳、桜、柳と木がずらりと並んでいたとか。
歌舞伎の舞台で描かれる吉原の背景と同じだなんて…想像しただけで倒れそうです。

凍死しそうになって入った寿司&蕎麦屋さんで京都名物「にしん蕎麦」500円)とさば寿司(320円)を食べました。
simabara_nisin.jpg
名物の「太夫最中」、「太夫せんべい」も売り切れで買えなかったので、リベンジしたいです〜。

遊園地大好きな私が、最も好きな乗り物…
それはメリーゴーラウンド(merry-go-round)…回転木馬。
(英語では「carousel (カルーセル)」と呼ばれることが多いそうですが)
今でも子供に混じって、必ず乗ります。
(絶対馬!コレと決めた一番ペッピンの馬に!馬車には乗らない)
写真も撮りまくります。
痛さ爆裂です。


メリーゴーラウンドは1860年頃、フランスで蒸気機関を動力として作られ、
1870年頃にはヨーロッパやアメリカなどに広まった…そうです。
その頃日本は明治維新…すごいなぁ…。

今も昔も、観覧車と並んでメリーゴーラウンドは
遊園地のシンボルであり続けると思います。
ディズニーランドにもディズニーシーにもあるしね。
(ランドの方が好き。夕暮れ時は実に美しい姿を見せてくれる!)

メリーゴーラウンドは今ココに存在しながら
クルクル…永遠の回転を続け
過去から未来へと人を誘う「装置」なのかもしれない。
(銀河鉄道の夜みたいなもの?レイ・ブラッドベリの短編でそーゆーお話があったような…)

嶽本野ばらさんの小説『変身』で熱く語られる
世界最古(!)のメリーゴーランド『カルーセル・エルドラド』に
是非、行かねば!

エルドラドについては ↓
http://www.toshimaen.co.jp/park/eldo-history.html


mokuba.jpg
メリーゴーラウンド柄の帯を作ってみました~。
 

Powered by Ninja Blog    template by Temp* factory    phot by Abundant Shine    icon by cherish

忍者ブログ [PR]

カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
フリーエリア
最新コメント
[11/11 さつき。(嶋原応援してます)]
[02/24 meg]
[01/26 yuki]
[12/25 meg]
[12/19 yuki]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
タルエ
性別:
女性
職業:
暴れん坊将軍
自己紹介:
着物同好会(仮名)主宰…仮名のまま7年間こっそり活動。『着物愛』を友達にゆっくりゆ~~っくり伝播中…でも着付け指導(我流)はスパルタ。
最近手芸熱に浮かされている。
最近のパターン:イチゴよりイチゴ味
バーコード
ブログ内検索
P R
カウンター
アクセス解析